思いはいつか叶う。思ってもみないタイミングで【その1】
25年前、私は「うつ病」と診断された。
その頃は「しにたい」とかじゃなく「誰も私のことを知らない街に行って暮らしたい。そうしたら違う自分になれるんじゃないか」と思っていた。とにかく誰も私のことを知らないところに身を置きたかったのだ。
月日は流れて25年後の2023年。
私は今、私のことを誰も知らない街で暮らしている。
正確にいえば、親の実家のある長崎県のとある島に今年5月から移住をしてきたのだが、先週から親が入院しており、この家には私しかいない。
ということで、私は、私のことを誰も知らない街で1人で暮らしている。
あの時願ったことが、こんな形で叶ったのだ。
だが、思ったほどいいもんじゃない。
土地に慣れるまでに時間がかかるのだ。
私の住む島は、市役所の方曰く「移住には向かない」。
つまり他所者を受け入れる土地柄ではないということだ。
そんな土地に人見知りが住んでも、当然声をかけられたりすることはまずない。
仕事はどこかに勤めるわけではなく、開業しており、基本ネットで完結するため、仕事仲間という間柄の人もいない。取引先や商工会の人とたまに電話で話す程度だ。
「自分のことを誰も知らない場所に住む」とはこんなにも孤独なのかと痛感している。
あの時「しにたい」と願っていたら、もしかしたら今頃しんでいたのだろうか?
人生は何があるかわからない。
思いはいつか叶う。思ってもみないタイミングで【その2】
25年前、私には好きな人がいた。
正確にいうと28年前からずっと好きだった人がいた。
その人とは28年前に付き合ったが半年ぐらいで振られ、以後忘れられない想い人となった。
その人は20年くらい前に結婚して子供ももう大きくなっている。
私はその人と恋人ではなくなったけど、「友人」としてなんだかんだとゆるい繋がりを持っていた。
「友人」だけど男と女。何があってもいいように、会う時は勝負下着をつけていた。
勝負下着は、勝負の土俵に上がることもないまま毎度脱ぎ捨てられていった。
そんな彼から今年の私の誕生日(3月)に「おたおめ」のLINEが来た。
他愛もないやりとりをしている中で「誕生日なのに予定も約束もない」と自虐ネタを発した私に彼は「じゃあご飯奢ってあげる」と誘ってきた。「ありがとう」と言い、待ち合わせ時間に待ち合わせ場所に行き、食事をしながら他愛もない話をしていた。
いきなり彼が「今夜は一緒にいたい」と言ってきた。正確な言葉は違うけど、そのようなニュアンスの言葉を言ってきたのだ。
私は驚いた。彼はそういうことをするタイプじゃないと思っていたからだ。
しかし、28年も思い続けていた人からそんな告白を受けて、「倫理的に不味いから」と断れるほど私は強い女ではない。勝負下着をつけていた私は彼の告白を受け入れた。
一夜を共にした。
一夜で終わればよかったのかもしれない。けれどそうはならず、5月に長崎に移住してからも連絡はとり続けているし、来月初旬には一緒に旅行に行くことになっている。関係は途切れることなくずっと続いている。
私にとって彼は「特別な人」だった。
男らしくて、優しくて、誠実で、私を守ってくれる人。28年前に付き合っている時はそういう人だった。
25年経って、彼も「ただの男」なのだと気づいた。
浮気もするし、自己中だし。
私にとって特別な人なのは変わりないけれど、「特別」の意味合いが25年前に思い描いていたこととは全然違うってことだ。only oneではあるけれど、super manではなかったというだけの話だ。
そして一番大きく違うところは、彼にとって一番大切なのは子どもであり、私ではないということだ。
ただ「ずっと思い続けているといつかそれが叶うこともある」ということを知った出来事。
願いが叶った先はポジティブか?
「思いは願い続ければ叶う」とはポジティブな時に使われる言葉だと思うが、叶った先がポジティブとは限らない、という話。
私のことを誰も知らない世界に来たら孤独に苛まれる。
25年以上思い続けた結果、不倫という先のない恋愛に発展して不安は募るばかり。
でもどちらも私が望んでいたものが手に入ったという事実はある。
「こんなはずじゃなかった」とは言わないが、違う未来を夢見ていたら、今頃違った世界にいるのだろうか?とは思う。
50年生きてきて、手元にあるのが「苦悩」だけというのが私の人生らしい。
今から違う未来を願い続けたら、未来は新しい方向に向くのだろうか?
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